　　　失われた８０年 … 日本はいつ独立回復するのか　　　　宮崎正弘　　　　　　「正論」６月号　　　2025_5_22

　　「失われた三十年」とは誰が言い出したのか。江藤淳は「第二の敗戦」と表現した。
１９９０年代にバブル崩壊があって、日本経済は右肩下がりとなり、若者から活気が失せ、日本社会はダイナミズムを喪失した。
「失われた十年」、「失われた二十年」が連続した。
経済新聞はむしろ自嘲的にこの比喩を多用したが、ウォークマンの爆発的ブームもデジタルカメラのブームも去って、
鉄鋼・造船は中国に、日本が自慢した半導体は台湾と韓国に市場を奪われていた。
いまでは「失われた三十年」が常套句である。
主に経済的停滞を視野に入れてＧＤＰの伸び悩み、技術開発力の停滞、賃金上昇の低さから判断した分析だが、ちょっと待った。
失われたのは 30年だけだろうか。

戦後 80年は、日本にとって「失われた八十年」ではなかったか。
石破茂首相は「戦後八十年談話」を見送るそうだが、戦後 50年の「村山談話」、60年の「小泉談話」に続いて出された安倍晋三首相の「70年談話」の文言のなかに
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とある。
岩盤保守から「謝罪外交」には区切りをつけろとの声が強くなったからだ。
戦後 80年、日本はずっと『日本らしさ』を失ったままである。
占領基本法が憲法となって居座り続ける。
何を喪失したかと言えば自立自存の精神、主権の喪失である。
基盤となる大和精神の消滅である。
日本は日本ではなくなって、これまでの歴史とは「別の国」が極東の島国に残存し、グローバリズムなどの呪文を称えている。
後世の歴史家は、きっと次のように書くことになるだろう。
　「日本は 1945年8月15日から、主権と精神を失い、歴史のなかで、日本はおよそ一世紀にわたって空白だった」と。

　　何度も失われた日本
日本史を俯瞰すれば『日本らしさ』が失われていた時代は過去にも何回かあった。
まず古代では縄文時代から弥生への転換期に、それまで日本にはなかった環濠集落が造成されるようになった。
これは世界史でも独自の文明だった縄文の伝統が壊されたのである。
弥生時代の吉野ヶ里遺跡が代弁するように、戦争にそなえて砦、堀をしつらえ、防衛柵を張り巡らせて敵の侵入に備えた。
縄文遺跡のどれをみても遺骨の分析から戦争の跡がないことは証明されている。
つまり弥生時代に、渡来人がやってきて日本に戦争を教え込んだのである。
平安時代に編纂された『新撰姓氏録』によれば 1182の姓氏のうち中国・朝鮮系の「」が 326 （このうち百済系が 104、高麗 41、新羅と任那各 9、そして漢族が 163）だ。
日本に来た渡来人がいかに夥しかったかを物語る。

三世紀後半から六世紀にかけて各地に造成された古墳は仏教伝来とともに廃れた。
寺院築造がブームとなった。これは歴史上の大事件。「消滅した三百年の歴史」である。
前方後円墳など日本独自の文化・文明が異教の〝乱入〟で消えたのだ。
仏教伝来（西暦538年）から、蘇我本宗家が滅ぼされた「乙巳の変」（645年）までの 107年間に、日本独自の古代神道が圧倒的な影響力を失い、仏教全盛を迎えた。
自然信仰からイコン（仏像）信仰というのは文化の変質である。
大化の改新は歴史教科書で特筆されているが、蘇我本宗家を滅ぼした政変は正確には「乙巳の変」である。
この年が大化元年と定められ、後にこの年号だけがひとり歩きした。
律令制度が整い、大宝律令となるのは半世紀後の 701年であり、歴史学者はこの律令制度がシナの中央集権のまねだとのたまうが、
大和政権は全国制覇していたわけではなく正確に律令といってよいかどうかは留保したい。
問題は公地公民である。つまり土地は国家のもの、私有財産は認められないのだから、律令制の瓦解は時間の問題だった。
わずか 42年後には墾田永年私財法が定められ、私有の荘園が拡大する。政治権力は朝廷から武士へ移行する兆しが見える。

次なる日本喪失は663年、唐・新羅連合軍に白村江の海戦に負けたのが契機。
国内防衛体制強化を急ぎ（西日本22カ所に城塞）、自主防衛体制を構築する一方で、
遷都した近江京の大友皇子の取り巻きは百済の亡命者ばかり、新羅との戦争準備をしていた。
大海人皇子（天武天皇）が立ち上がった「壬申の乱」によって、日本は外国の干渉を排除したが、
しかしそのあとも仏教政治は根を張って、皇室の仏教信仰がつづいた。
平安時代の藤原仲麻呂の専制時代には位階から役所の名称まで唐風とされた。
「恵美押勝（仲麻呂）の乱」が終熄し、ようやく唐の猿まねが是正された。
しかし、770年の道鏡左遷まで、およそ 107年間は日本らしさがない時代だった。
仏教政治は日本の伝統にそぐわない要素を多く含み、外国かぶれが流行した。唐の文化が朝廷を覆い尽くしていた。
そして平安遷都を経て、菅原道真の遣唐使廃止（894年）まで、国風文化が甦るには時間がかかった。

平安時代には、古今集、源氏物語、更級日記など日本独特の文化が花開いた。日本文学はこのときに真昼を経験した。
以後は鎌倉時代の元寇の襲来まで摂関政治の貴族社会は曲がりなりにも続いた。
政治の実権はやがて武士に移行したが、朝廷の権威に変わりは無かった。　
次の日本らしさの喪失は 1543年の種子島への鉄砲伝来、ザビエル来日（1549年）以後の伴天連の猖獗である。
異教の教えは日本古来の神道、仏教と衝突した。
信長の伴天連保護と奨励により、1633年の鎖国までのおよそ 90年間は「伴天連の世紀」（渡辺京二）となった。

　　明治時代は「西側信仰」の時代だった。
大正6年に萩原朔太郎は『月に吠える』を自費出版した。かれは「絶望の逃走」というエッセイのなかでこう言った。
「私の過去に受けたすべての文学的教育が、根本的に皆ウソであったといふことである。（中略）すべての古臭い伝統的な観念を叩き出せと命令した」
朔太郎は『月に吠える』のなかで以下のようなレトリックを用いている。
「その菊はえ、その菊はいたみしたたる（中略）。菊は病み、えたる菊はいたみたる」
皇室の御紋章が病んでいるとは日本の歴史が病んでいるということである。
また朔太郎はこうも詠んだ。
「桜の木の下に立ちてみたれども　わがこころはつめたくして、花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ。いとほしや」
桜は日本の国花、その精神の衰退を嘆いた。
こうみてくると、戦後 80年と言っても、国風の蘇生、日本独自の文化の再生は、表面的な GHQ政策の排除だけではなく、
基底からの刷新が必要であり、まだまだ日本を取り戻すには、時間を要することがわかる。

　　主権の回復とは
近未来は米国と中国の長期的対立の時代となることは確実である。
その米中対決の狭間に位置する日本が国際情勢の地殻変動的激震を前にして「普通の国」になりたいという。
国際政治学でいうところの「普通の国」とは自立自存、自主防衛体制がととのい、脅威が目前にあれば、その脅威を除去するために抑止力を充実させ、
先制防御的攻撃が可能な自衛権を発動できる国のことを指す。
換言すれば「米国の保護国の地位にいつまでも甘んじていない」、「危機に対応するには戦争もできる国」のことである。

いみじくも米国のトランプ大統領が言ったではないか。
「アメリカ人兵士が日本を守るために命をかけるが、日本はアメリカを守らない。こうした不平等が日米安保条約だ」
トランプ政権は在日米軍の強化には懐疑的であり、NATOからの撤退も視野に入れている。
国際社会は高関税による自由貿易体制の瓦解を嚆矢に、これから "未曾有の大転換期" に突入する。
同胞が拉致されても「話し合いで解決」とじっと我慢している国を「普通の国」とは云わない。
自ら軍隊を派遣して取りもどしてくるのが「普通の国」である。
憲法第九条云々と言い逃れの便法を使うのは自ら神聖な自衛権を放棄しているに等しく、諸外国からは失笑を買うだけである。

かつて冷戦時代、アフガニスタン戦争に米軍が介入し、キルギスのマナス国際空港に海兵隊など二千の米兵が駐屯したことがある。
筆者はすぐに取材に行った。首都ビシュケク市内でタクシーを拾うと、ドライバーは英語がまことに流暢で、経済劣悪のためこういう仕事しかないとこぼした。
話題が米軍駐留になり、筆者が、日本には数万の駐在米軍がいると言うと、「えっ、日本は独立国家じゃないのか」と驚かれた。
世界の常識に照らせば "独立国に外国軍がそんなにいるわけはない"。
国際法では占領軍が被占領国の憲法を押しつけるのは違法である。
したがって「日本国憲法」なるものは占領基本法でしかなく、西部邁は「こんなもの踏みにじれ」と言っていた（ドイツはこの 3月にも憲法改正を決議したが、その改憲の気軽さ！）。
領海、領空が中国やロシアに侵犯されても反撃できない。
小笠原の海域が荒らされ、赤珊瑚のあらかたを中国の「偽装漁船」に盗まれても、海保も海上自衛隊も何も出来なかった。
冤罪のスパイ容疑で日本人が多数拘束されているのに全体主義独裁の国家に「善処」をお願いするだけ。
報復措置として日本で暗躍する中国人スパイの一斉逮捕にも踏み切れず、日本を貶める宣伝工作活動を野放しにしている。
日本人は深層心理で「米国が先制攻撃を仕掛けて金正恩の核施設を破壊してくれるのではないか」とひそかに待望している。
しかし日本自らが攻撃を仕掛けるという意図はどこにも感じられない。
自衛隊 OBの発言を聞いていても、「日米同盟」を前提としての底の浅い議論しかない。
我が国の自衛隊が戦闘機の空中給油を続けながら航続距離を伸ばし、北朝鮮の核施設を空爆することは可能である。
オスプレイも配備している。つまり「やる気さえあれば出来る」のだが、それはしない。
自衛隊高官 OBと何回か懇談したこともあるが、「クーデター」の可能性を持ち出してみても、彼らの口からクーデターの企みを聞くことはただの一度も無かった。
1976年6月、イスラエルは同胞の乗ったエールフランス機がハイジャックされ、遠くウガンダのエンテベ空港に拉致されたとき、特殊部隊を急派した。
彼らはテロリストを全員射殺、ユダヤ人人質を救出して凱旋帰還した。ただひとり犠牲となったのが現首相ネタニヤフの実兄だった。
くわえてイスラエルはイランが開発途上にあった原子炉にコンピュータ・ウィルスを仕掛けてシステムを狂わせ、開発を数年遅らせた。
米国はオバマ政権時代、そのイランと原子力協定に合意したが、「あれは悪い協定」と見直しを宣言したトランプは、イスラエルと組んで近く何事か軍事行動をとるであろう。

こうした軍事行動も普通の国なら当然、行う安全保障上の行為である。
「話し合いで平和が来る」と云うのは乙女の祈り、お花畑の夢想であり、”平和は軍事力で達成するもの”である。
こうと決めたら、それが国益に適うなら周囲の思惑を忖度せずに実行に移すこと、それが　主権の行使　である。
チャーチルが残した箴言に「若者の怯懦が国を滅ぼす」という古今東西の歴史の原則を説くものがある。
英国首相サッチャーは、フォークランド諸島をアルゼンチンに侵攻されたとき、遠く 6000キロも離れた海域に空母打撃群を送り込んで取りもどした。
一方、日本はどさくさに紛れて韓国に盗まれた竹島を「返して欲しい」と呼びかけるだけ、
北方領土を「返還してくれれば、経済援助はこれだけ…」などとロシアにへりくだって交渉するだけである。
いま中国に盗まれる寸前の尖閣諸島にさえ自衛隊の常駐を躊躇っている。
こういう国を「普通の国」と呼ぶのは、ほかの普通の国に対して失礼である。

　　唐の猿まね
さきほどみたように古墳が突如つくられなくなったのは仏教の伝来が原因である。
自然信仰の神道が「未知との遭遇」をはたしたのは西暦 538年の仏教伝来だった（日本書紀では 552年説）。
この時、太陽や山々をおがむという古代神道の我が国では、イコン（仏像）を拝むという異教徒の侵入に対して反撥が激しく、
日本史最初の廃仏毀釈があったが、しかし蘇我氏が仏教を広め、権力を握った。
645年の「乙巳の変」（大化の改新）で神祇界の指導者だった中臣鎌足が天智天皇をかついで行動を起こすまで、
およそ一世紀にわたって日本は異教の〝侵略〟を受けていたのである。
やがて日本は、日本的独自の神仏混合という手法で外的な文化侵略を乗り切った。
聖徳太子は篤く仏教を敬えといったが、同時に神道により寺院が保護されるとした。
たとえば法隆寺のまわりには八つの神社が配置されている。
聖武天皇時代には仏教はほぼ国教化され、同時に唐の強い影響下にあった日本は、唐の政治制度を猿まねして、位階の名称から役所の呼称まで唐風にした。
称徳天皇は吉備真備を軍師として大宰府から呼び戻し、その唐かぶれのハイカラ藤原仲麻呂を退治した。
仏教の蔓延と唐かぶれの政治は終焉を告げたと思われたが、淡海三船（皇族学者）らは歴代天皇の名前をすべて漢字でおくりなした。
カムヤマトイワレビコは神武天皇に、ハツクニシラシシミマキノスメラミコトは崇神天皇とおくりなされた。
日本独自の「何か」が、この時に失われた。
しかし日本文化の精髄にある和歌が残り、発展した。
和歌は情報伝達の手段でもあった。
神武天皇が崩御され、前妻との皇子が反乱を企んだとき、その危機を知らせたのが皇后の和歌二首で、古事記に書かれている
（岩波文庫版『古事記』（倉野憲司校注）の文言は以下の通り。
（神武天皇）崩りました後、その庶兄タギシミミノミコト、その嫡后伊須気余理比売を娶せし時、
その三はしら（神武の三人の皇子）の弟を殺さむとして謀る間に、その御祖伊須気余理比売、患ひ苦しみて歌をもちてその御子等に知らしめたまひき。
歌ひたまひけらく、「河よ、雲立ちわたり、畝傍山　木の葉騒きぬ　風吹かむとす」とうたひたまひき。
また歌ひたまひけらく、「畝傍山　昼は雲とゐ　夕されば　風吹かむとぞ　木の葉騒げる」

　　過去のパターン
9世紀となると、宇多天皇、醍醐天皇という国風重視の天皇が即位され、遣唐使は正式に廃止された。
それまで唐制度の全盛期は 300年つづき、日本の独自性は失われていた、といえるだろう。
次に日本が失われたのは切支丹バテレンの上陸から排撃までの 90年である。
ザビエルがゴア、マカオを経由して来日し、信長から布教の許可を得るや、切支丹バテレンが急速に浸透し、
高山右近らの領地では寺院が破却され、仏僧らは虐待された。
秀吉が切支丹禁止に踏み切り、徳川が鎖国とするまで伝統的な日本は失われていた。
仏教徒らが信長に反抗したのは当然の成り行きだった。
鎖国は 1633年から明治維新の 1868年まで 235年続いた。

　この鎖国時代こそ、日本文化が花開いた。
文学、思想、歴史、演劇、絵画、歌謡、歌舞伎、能と、今日の日本人が「これが日本文化だ」と自慢できるものは悉くが江戸時代の鎖国の恩恵を受けている。
三島由紀夫の親友だった佐伯彰一（元三島由紀夫文学館館長）は「文化的鎖国」の有効性を称えていた。
明治近代化の前後、一転して自虐史観が蔓延り、西洋崇拝、近代文明工業化への舵切りがなされた。
日本画も芸術作品も日本刀も価値がないとして外国にたたき売られた。
明治後期には国風も回復してきて、鹿鳴館が廃れ、日本独自の文学が創出されたが、
大正デモクラシー時代は、こんにちのグローバリズムに酷似した側面があった。
マルクス主義などが進歩思想のように誤解されて若者の多くを洗脳した。日本浪曼派の登場は昭和十年代を待たなければならない。
明治維新以後、大和精神を取り戻し、日本が一丸となって大東亜戦争を闘うまで、およそ半世紀の伝統の空白がある。

明治近代化以後は西洋崇拝から国風の反動をへて、和魂洋才となった。
夏目漱石も森鴎外もバイリンガルだった。
こう考えてくると、戦後 80年の「失われた日本」も過去のパターンの繰り返しに過ぎないのかも知れない。
現代日本がアメリカの精神的植民地から独立を回復するまでに、まだはかかりそうである。

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